この辺り、何かあったような気はしていたのです。
でも私が地元に戻ってきたのは26年ぶりなわけでして‥‥
見つけてちょっとテンションがあがりました。
神明社舊跡です。※神明社旧跡
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見つけました神明社舊跡。テンションが上がりますね。 |
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神明社だけに当然鳥居も神明鳥居です。良いですね。 |
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神明社の由緒の略記です。ちょっと文字が読みづらくなっています。 |
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ん?この神紋は見た事があります。露天神社のものですよね。関係がありそうです。 |
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難波神明社というのですね。露天神社との関係は前の由緒の所で出てますよ。 |
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標石というよりはもう神石ですよね。後ろの石がそうかもですが。 |
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アマテラスちゃんが輝きだしました。歓迎してくれているようです。 |
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常に夜となっていますが、今光が差しましたよ! |
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私が来た事で力が戻ってきたようです。はい、妄想はそろそろ終わります。 |
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後ろにある石が気になりますね。何かあるのでしょう。 |
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それではまた来ます。いやあ良い場所見つけました。 |
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日蓮宗高照山本傳寺です。神明社と何か関係がありそうだと勝手に感じてます。 |
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今の字で本伝寺と書くようですが、旧字はそのまま残しておきたいですね。 |
神明社旧跡ですから、何処かに移動したのでしょう。
露天神社と合祀したとか夕日の神社とか書いて有りましたよね。
ちなみに近くの大阪天満宮には神明社が境内神社としてあります。
ところで仏教で神様と言えば仏さんですよね。
像とかあって実際の容姿が決められていますが、時代と共に服装とか変わってるんですかね。
神様がいるというのなら、最初から凄い機能的で豪華な服を着ていてもおかしくない気がするのです。
つまりそうでもないなら、その辺りどう解釈するのか気になるわけです。
神も人間と一緒に成長するのかとか、考えが変わるのかとか色々とね。
※露天神社の説明では、現在神明社舊跡は境外地にある夕日神明社碑となっているようです。