バラ園は小学生の頃写真を撮りにきましたね。
でもこんな風にはなっていなかったような気もしますがどうなんでしょうか。
中之島のバラ園にやってきました。まだ時期ではありません。{汗} |
こんな風に入り口があるとは知りませんでした。昔からあったのでしょうか。 |
歩いていくと何やら石碑がありました。 |
‥‥長門守表忠碑記ですか‥‥なんでしょう。 |
木村長門守重成表忠碑だそうです。字は木邨長門守重成表中碑ですね。 |
滝川公園という所にやってきました。なんとなくこの辺りに公園が有ったのは覚えていました。 |
見て思い出しましたね。この公園、多分数回来た事があります。 |
このブランコはおそらく最近のものですよね。 |
史跡天満興正寺御坊址だそうです。よく分かりません。 |
子安地蔵尊です。公園に地蔵尊は多いです。 |
天満組の惣会所がここにあったのですか。なんだか分かりませんが。{汗} |
そりゃ戦争で焼野原となる前は色々あったのでしょうし、時代の流れと共に街も変わって当然です。
でもその前にあったものを一々記憶にとどめておこうという姿勢が感じられるのは、それだけそれが大切だったという事なのですよね。
そうでも無ければ本などに記録しておけば済む話ですから。
そこに碑を建てて広く知れ渡るようにする必要があるというのは、何か意味があるはずです。
意味も無いのにこんなものに金を使っていたらただの無駄遣いですからね。{笑}
天満組惣会所跡ですか。
これはきっと日本人が知っておかなければならない重要なものに違いありません。
時間が有れば調べてみようかと思います。
その後‥‥
江戸時代の頃、この辺りは大坂三郷という組織が仕切っていて、ある程度自治が認められていたとか。
つまり街の組合が国から少し外れて俺様帝国をこの地に築いていたという事でしょうか。
それが良かったのか悪かったのかが分からないのでなんとも言えませんが、大阪都構想と繋がる話にも見えて面白いです。
ちなみに私は大阪都構想は反対です。
府と市を一体にしてって所は構わないのですが、都ではないので‥‥
京都が日本の首都で、とりあえず今東京に出かけているだけの状態です。
遷都じゃないですからね。
奠都ですから、現在日本には本当の首都である京都と、とりあえず首都機能を置いている東京都があるというわけです。
まあ面白い歴史が学べたのでこの石碑には意味が有ったと思います。