的場ふきさんが詠んだ短歌でしょうか。
短歌をサーチエンジンにかけてもヒットしませんね。
別の方法ではヒットする所もあるのですが、そのまま入れてもヒットしないサーチエンジン‥‥
グーグルさん、頑張ってください。{笑}
あまり有名な歌ではないのでしょうけれどね。
塚本神社の鳥居です。貫が長くどっしりとした印象の鳥居ですね。 |
注連縄が白いロープに見えます。しかも紙垂が大麻(幣)っぽいですね。 |
扁額も鳥居に合わせてやや横に太いです。 |
手水舎です。手水舎の使い方は色々な神社で見ますね。 |
おみくじとかお守りとか売っている所です。 |
復興記念碑によると、元々八阪神社だったようです。 |
阪神大震災に関する記録も多くの神社で行われています。 |
御神祭が素戔嗚尊ですから、八阪神社だった事が伺えます。 |
百度石です。標準的なものです。 |
拝殿です。御幕にある神紋も八阪神社のものと一致します。 |
拝殿の方にでてきている松が良いですね。流石松です。 |
しかしクロスして生えるって珍しくないですか?そう植えたのでしょうか。 |
的場ふきさんの短歌です。どこかで龍神という言葉をみましたが、そうなんですかね。 |
的場ふきさんの短歌の内容は‥‥
丹波より来た松を塚本神社に植えたので、いい具合に枝も伸びて葉もつこうね、みたいな感じでしょうか。
つまり丹波の松という事です。
当然歌には別の意味もあるわけで、松の名所である丹波の松よりも、ここ塚本神社に植えられた松は、枝も伸びて葉も茂っていい具合になる事を願う、 そんな感じにも捉えられます。
そして一度は富島神社に合祀されていたわけで、復興した塚本神社の発展を願った歌にも感じます。
そして復興記念碑を読むと面白いので書き出してみましょうか。
此の神社は古来八坂神社と称し現在地の北側に広大な境内を有し附近住民の尊崇を集めていたが明治四十二年時の政令により富島神社に合祀され*来法十有余年同社の境外神社として現在に至った 大東亜戦争を契機に世情は急激に変動し人心又動揺し道德地に落ち心ある人々の間には道德高揚の根幹とも言うべき神社復興の気運が勃然と起り志を同じくする者が相寄り幾多困難を圣て昭和三十六年十月塚本神社復興委員会の結成を見た *後関係者一致団結復興を目ざし一意念願達成に邁進し漸次全町挙げての*(協?)力態勢に導き奉賛者実に二千七百余名達した 昭和三十七年八月先ず社務所を完成 翌三十八年七月十九日本殿拝殿を落成し茲に目出度正遷宮祭を執行し**に残る神社復興の大事業を完遂した 本委員会に名を連ね東奔西走能く成功に導いた四十七名の氏名は*に掲げる
更に続く‥‥
こんな感じの事が書かれておりました。
今から100年くらい前に、まあ神社を合祀する動きがあったわけです。
神社を国の管轄と言いますか、神官を国家公務員にして給料払えという話があったのですが、数が多すぎて無理でした。
※私の認識です。間違いの可能性有りです。
その為に合祀して数を減らそうとしたわけです。
それが良かったのか悪かったのかは別にして、 無くなればそれで困る人もいるわけでして、こうして復活する神社もある訳ですね。
個人的にはこうして必要な所は復活しているのですから、ある意味良かったとも言えると思います。
本心では全部残っててほしかったですけれどね。
でも神社なら日本の文化に根付いているわけで、国が少し文化を大切にしようとすればなんとかなった気もするのですけれどね。
少なくとも今ならテレビもあるし、できなくはないと思います。
明治の頃は無理だったとしても‥‥
これからは、増えないまでも減らないで欲しいですね。
ところで石碑には大東亜戦争と書かれていますね。
日本人ならそう言うべきなんだと思います。
日本人は日本の言葉で語ってもいいのですよ。