神社を巡っていて多いのが日露戦争時の石碑です。
明治三十七八年と書かれており、それが1904年であると完全に覚えてしまいました。
そんな中別の石碑を見て思いました。
アレ?この年号間違ってね?‥‥
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八坂神社の裏にある天王田稲秀大明神です。お稲荷さんですが赤いです。 |
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稲秀だから朱色ではなく赤なのでしょうか。鳥居も鉄製でかなり錆びてます。 |
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扁額は少し図画工作レベルの手作り感がありますね。 |
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祠は綺麗でしっかりしている印象です。 |
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その横に天王田八坂神社が鴫野八劔神社に合祀された石碑があります。 |
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阿像白狐です。かなり新しい感じです。可愛いですね。 |
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吽像白狐は巻物をくわえ、少し牙をむいている感じがします。 |
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お稲荷さん側からもご神木のいちょうと小さな祠が見えます。 |
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小さいですが裏にはお稲荷さんがありしっかりとした神社に感じました。 |
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宮彫りもなかなか綺麗ですからね。 |
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手水舎にある柄杓も‥‥うん‥‥これはこれで味があって良いかもです。{汗} |
先に調べた限り、鴫野八劔神社に合祀したのが1913年だそうです。
しかし石碑には大正4年と書かれていますね。
日露戦争が1904年~で、石碑にはいつも明治37年~と書かれているわけですから‥‥
明治45年は1912年です。
そこが大正元年でもあるわけですから、大正4年は1915年なんですけれど‥‥
インターネット情報と現場にある石碑とでは数字が合いません!
私は現場にある石碑を信じて、合祀されたのは1915年だとしておきます。