神道はあくまで日本の文化ですので大切だと考えますが、宗教というのは実はあまり好きではないのです。
歴史上、宗教を使った悪事というのは多くありますし、やり過ぎると心の甘えにも繋がりますしね。
ただ、心のよりどころとして今の日本のように無宗教的にあるのは良いと思います。
そして神道、神社に関しては日本の文化ですから、もう少しみんなが知っていてもいいのではと感じます。
例えば神社を見て回って気が付くのが、みんな右から左に文字を書いているという所です。
昔日本では文字を右から左に書いていました。
というかそもそも縦に書くのが日本語なのです。
右から左に縦に書く日本語では、横に書く時に左右どちらから書いても良いという事で統一性が無かったのですね。
特に明治から海外の物が多く入ってくるようになって、ある程度右から書かれていたものがゴチャゴチャとするようになりました。
それを世界大戦の最中に左から書くよう統一しようとしたのです。
その後徐々に統一されて、今の左から横に書くのが定着しました。
一応昔の日本は右から左に書く文化だったのですが、明治から徐々に左から書かれるようになり、現在ではほぼ左からというわけです。
それはそれで便利ですから今の世の中それでいいと思いますが、過去の文化を残しておく事は必要です。
例えばこの先何千年後かに、或いはもっと早くに言葉を統一しようという動きがでてくると思います。
その時に言うわけです。
「言葉は全て左から右に書かれているわけで、元は同じ言葉だったのではないか!だから戻す事もできるはずだ!」
そこで日本は反論するわけです。
「我が国の神社では今も右から左に書いており、 昔はそうだった。だからその主張は間違っている!」
まあそんな事は今の世界が続けばなかなかないでしょうけれど、神社には過去の文化を残す場で有ってほしいのですよね。
いずれ色々とこれからも変わり、おそらく日本の文化のほとんどが失われるか、或いは他の文化と同化していくでしょう。
そうなったとしても、神社だけは元の日本を残して欲しいと思うのです。
だからこれからも、文字は右から左に書き続けて欲しいですね。
では坐摩神社行宮の紹介です。
この地はなかなか素敵です。
行宮(あんぐう)とは、天皇がお出ましの時の仮の御殿である行在所だそうです。
そんな感じではないですね。
坐摩神社行宮の門柱です。 |
入り口にはお寺で見かける冠木鳥居が有りました。ん?冠木門かな? |
手水舎は竹水栓から手水鉢に水をためるタイプですね。 |
綺麗なツバキでしょうか。咲いていました。 |
これもツバキでしょうか。花の名前は分かりません。 |
もう全部ツバキでいいです。{笑} |
メインの社殿が奥に一つあるだけです。 |
由緒を読むと、なるほど鎮座石が今も残っているのですね。 |
その鎮座石は、祠の手前の鉄でできた囲いに守られていました。 |
祠です。鎮座石は手前です。 |
坐摩神社行宮は、神社の跡地ということで、少し不思議な感じのする場所です。 |
神社の跡地はこんな風になるのかと感心しました。良かったです。 |
私もまた心を休める為に来ようと思います。
神功皇后が新羅よりご帰途の折り、この地に初めて坐間神を奉斎され、石上に御休息されたと伝えられているそうです。
その石が鎮座石のようですね。
詳しくは画像の由緒を読んでください。
冠木鳥居をはじめ、ちょっとお寺っぽい所もある場所でした。