高津神社は、浪速の地を皇都(高津宮)と定められ、大阪が栄える基を築かれた仁徳天皇を王神と仰ぐ神社だそうです。
つまり大阪というのは仁徳天皇、そして豊臣秀吉のおかげで栄えたという事でしょうか。
秀吉は太閤様と今も親しまれていますしね。
そして今の高津宮は元々比売古曽神社が有った所だそうで、郡戸王子の推定地とされるそうです。
詳しくは写真に撮ってある説明を読めば分かります。
そして高津宮は広すぎて一度には紹介できませんので、順番にいきますね。
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花の公園から高津神社が見えますね。早く行きたくてウズウズしてました。 |
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太陽が向こう側にあるという事で、おそらく表参道は向こう側でしょう。 |
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しかし近かったのは裏門側でした。階段を上った所に裏門があります。 |
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凄く雰囲気のある良い神社の予感です。 |
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裏門の向こう側に鳥居が見えます。 |
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やはり本殿の裏側から入ってきたようです。向こうにわずかに狛犬が見えます。 |
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鳥居の下に続く坂を「旧縁切り坂」と呼ぶそうです。 |
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さてまず門を入ってすぐの所にあったのは神輿庫です。御神輿を格納する場所です。 |
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その横には高台之頌碑があります。民のかまどの碑と言えますかね。 |
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それがこれです。左側に写る石碑が高台之頌碑です。 |
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そして郡戸王子推定地の石碑です。説明は後で出てきます。 |
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桂文枝之碑です。こんなのもあるんですね。 |
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これが郡戸王子の説明です。 |
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群戸王子の説明にある元の神社が摂社として残っています。 |
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比売古曽神社ですね。両脇に穴の開いた石が置かれています。 |
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仁徳庭園の駒札です。 |
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庭の向こうに見えるのは高倉稲荷神社です。 |
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小さいですが庭園です。写真スポットだそうです。 |
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お稲荷さんをバックに梅を撮りました。 |
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高津宮のサイトでは拝殿ではなくまとめて本殿と書かれています。 |
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でもおそらく神霊を安置してあるのは右の社殿かと思われます。 |
郡戸王子の話をザックリ言いますと、高津宮は元々大阪城のある所にありました。
でも大阪城を造るからと遷座する事になり、郡戸王子と言われる場所に移動してきたという話です。
元々そこには比売古曽神社があったので、摂社として残っているという事ですね。
比売古曽神社に穴の開いた石が二つあるのは、その辺り何か意味がありそうな気もします。
遥拝石に穴が開いている事が多いですが、これって遠きを想うって意味もあると思うんですよね。
きっと想いが強くなる所にあるのではないでしょうか。
それと駒札に桐と菊の紋章が書かれているのは、太閤様と仁徳天皇という事でしょうか。
大阪が愛する二人ですね。
ところで高津宮とは少し話がそれますが、鳥居の色って何か意味があるのか調べました。
朱色は仏教的なもので魔除けだったり、命だったり、またその塗料には虫よけ効果が有ったり、そんな意味があるそうです。
神仏習合が言われた時代に鳥居の色が朱色になっていったそうです。
しかし江戸後期に神仏分離が進められ、また元の鳥居に戻っていったとか。
四方を守る四神にちなんで南の朱雀の位置、つまり表参道側に朱色の鳥居を置く神社もあるそうです。
神社は天照大神を見る側、つまり太陽のある南側に向けて本殿がある場合が多いらしいです。
だから表参道は南側にあるというわけですね。